戸塚ヨットスクール事件と教育哲学 その5
  現場の当事者は、そんな悠長なことは言っていられないのだ。いや、現場でも、絶対に事故を起こさずに扱える子供だけを預かる、という選択枝はありえるだろう。より適切な「有資格者」が他に存在する限りにおいて、それは最善の選択である。が、そうでない場合はどうか。目の前に医者に見放された「患者」がおり、何とかしてくれと懇願する家族がいる以上、過去の実績を信じて自分にできる方法で何とか助けようとする、そういう選択肢もまたあり得る。戸塚氏はそちらを選び、「患者」の選り好みをすることなく引き受けた結果、何百人かを救い、二人の死者と二人の行方不明者を出した。それが、「戸塚ヨットスクール事件」の本質なのである。
<中略>
 戸塚氏らの逮捕によって、当時世間を騒がせた「ヨットスクール問題」はひとまず片付いたかに見えた。が、その背景にあった根本の問題が解決されたわけでは勿論ない。その後長い間、誰もがそれを「他人事」と考え、自ら手を汚すことを避けてきれい事で済ませてきた「つけ」は、必ずどこかに回っているはずだ。実際、各種の調査によれば、現在、いわゆる引きこもりは百万人に近いと見られ、不登校は小中学生だけで十数万人、家庭内暴力も警察の認知件数だけで年間一千万人を超えているという。これらは、殺人のような「目立つ」結果を招かない限り表沙汰にはなりにくいため、多くの人は事の重大性を認識できずにいる。しかし、これはどう考えても尋常な数ではない。ヨットスクールは「今もなお」どころか、今こそ必要とされているのである。
<3万人のための情報誌「選択6月号」から抜粋>